劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

29才女性 人生へのとめどなき、根拠なき不安を解放する日記

全ての原動力が「怒られたくないから」になってしまったのはいつからだろう

人生で三度目の堕落期間に突入している。
第一に大学受験期間、第二に就活期間、そして今である。
(偶然にも四年に一度訪れているようだった。)


世の中は新型感染症の影響を受け、様々な分野で改革が行われている。
私の勤務先も例外ではない。
B to Bメーカーの営業職である私の出勤は「不要不急」
生まれて初めての在宅勤務を開始してから一月以上経過している。


過去二回の堕落期間を乗り越え、社会人然として過ごしてきたこの三年。
徐々にそれらしい姿に変わりつつあったというのに、
在宅勤務の影響でめっきは完全に剥がれてしまった。


思い起こせば、一度目の堕落を味わってからというもの、
全ての行動の原動力は「怒られたくないから」になってしまっていた。
(挫折ではなく堕落であることを改めて主張したい。)


つまり、怒る「人」がなければ、何も出来ない人間であるということだ。
会社でサボれば怒られる。怒られたくないからサボらない。
訪問件数が少ないと怒られる。怒られたくないからアポイントを打診する。
会議や商談時に準備不足だと怒られる。怒られたくないから準備する。


対面でのコミュニケーションがなくなった今、心が打撃を受けるような怒られ方をする機会はなくなった。
すると、本来の私の姿が丸見えになり、何もしない人間に戻ってしまったのだ。
三年かけてゆっくりと矯正してきた社会人としての私は数週間前に消え去った。


「怒られたくない」ただそれだけの理由でなぜ働くのか、
それは、最低限の動力で、ある程度のお給金を頂ければそれでいい、という考えのもと生きているからである。


もし、生きることにお金が一切かからないとすれば、
ほとんどの人間は遊び呆けるだろう。
それでも、生まれ持った好奇心や向上心に基づき、研究や社会貢献活動に勤しむ者もいるだろう。
私はそのどちらにも属せず、ただ「何もしない」人間になると確信している。


「生きる」現実ではお金がかかる行動である。
だから働く訳だけれど、そのなかでもやりがいや向上心、ライバル心を持ちながら働く人間は恐らく、
お金がかからない世界線でも何かに一生懸命になるし、人目のない在宅勤務でもきちんと成果物を持ってくるのだろう。


と、在宅勤務をサボり、自己嫌悪と罪悪感に苛まれる自分の行動を、
ここまで回りくどい表現で正当化することも、怒られない為の言い訳に過ぎないのだが。(誰に)

毎日幸せ


毎日イライラするし、デブな自分に嫌気がさすけど
食べることは止められないし、ジムに行くタイミングが合わない
移ろうとも考えたけど、価格帯とかサービス内容的にそれも適切と思えない。

常に舌打ちしてる

「子ども嫌い」は許せない。
自分だって子どもだったくせに、と思うから。

だけど私はオジサンが嫌い。
オジサンは別の生命体。
だってこのまま年を取っても、オジサンになることはないから。
凝り固まった古い価値観と、薄ら寒い笑えないジョークと、
「セクハラギリギリ攻めても俺なら冗談に出来る」という謎の思い上がり、
臭い対策への無頓着さ
他人の容姿をネタにする無神経さ
食後にコーヒー飲めば口臭リセットされると思ってる謎の理論

出来れば私は ロココ時代のおフランスに生まれたかった

自由と安心はトレードオフ

紆余曲折ありまして、数ヵ月前に彼氏が出来ました。
兼ねてからの知人です。

ずっと孤独と自己嫌悪に苛まれ、
普通の人間がみんな経験している「恋愛」と言うものが、
どうしてこんなにも出来ないのだろうかと劣等感を覚える日々でした。

物心がついてから長年の間、
親以外の他人から愛情を受ける日々を渇望していました。
しかし、それは案外呆気なく、想像していたような「震える程の感動」はありませんでした。
もはや日常になりつつあるのでしょうか。

生物学上も、価値観も別々な相手と、
真剣に人間関係を築くことがこんなにも大変なことだなんて知るよしもありませんでした。
その努力をしてきたことを考えると、若い頃から恋愛に勤しむ人々には頭が上がりません。

そして、ついに、
恋人がおらず、孤独だった頃の「自由」に憧れてしまうのです。

でも、ここで負けてはいけません。
私はこの自由を手放して、「誰かといる安心」を手に入れたのだから。

そんな葛藤をしながらも、楽しい日々や幸せを噛み締めて、
気を引き締めて生きていかなければ、、、

遅れてやってきた青春(笑)

 

 

人生とは何が起こるのか分からない。

これは2年半前の私の記事である。

 

tamagoyaki7.hatenablog.com

 

フェスなんてリア充だけが行くものだと思っていたし、クリープハイプなんてサブカルビッチが聴くものだと思い込んでいた。

 

しかし、この記事から2年半後には、

勝ち組でもリア充でも大学生でもビッチでもない私が、

炎天下、グラスステージの大観衆の中でまあまあの笑顔をこしらえて、

「SEXしよう!」と叫んでいるわけだから、本当に人生は何が起こるのか分からない。

 

次に目標とすべきことは恋人をつくること、デートを慣習化すること。

実は私にとっては後者がかなり高いハードルと思えるが、人生何が起こるか分からない説を信じて邁進してみる他ない。

 

 

 

 

脱喪女ブログ


かつてはそんなタイトルで始めました。
当時21才だった私も、あと半年程度で24才と言う訳です。

恋人はおろか気軽に遊びに誘える友達も少なかった私は、
人との繋がりを大切にし、どちらも手に入れようと邁進してきました。

誘われたら断らず、感謝を表現するようにして、
希薄になっていた人たちとの人間関係は潤ってきました。

つまり、決して多くはないけれど、
友達と思える人がちゃんとできたのです。

とは言えそれは、その人たちにはSNS等を通じて気軽に連絡が出来るからであって、
相手が男となると、私の場合そうはいかないのです。

気軽に連絡を取れる男の人なんていないし、
そもそも、好きな人意外の男の人に対して常にうっすらと苦手意識のある私は、男の人と自然に出会うことなんて無いに等しいのです。

これではまずいと、あらゆる出会いの場に足を運んでみることにしたのです。

合コン、街コン、よく分からないBBQ…

私は理想なんか高くないし、とにかく恋愛の練習が出来ればそれでよくて、
ないに等しい積極性をかき集め、来るもの拒まずの姿勢で日々挑んだのです。

しかしどうでしょう、サシ飲みのステージに移行した途端、これらのエネルギーは全て消え、急激に気持ち悪く感じてしまうのです。

男性に耐性のない私は、
自分がどう見られているのかを異常に気にしてしまい、
ただの駒と思われるのも嫌だけれど、評価されるのも嫌で、早く帰りたい以外に何も考えられなくなってしまうのです。

素の自分でいたいけれど、素の自分をいいと思ってくれる人なんてちょっと気持ち悪いし、かといって無理している自分をいいと思ってくれているのなら申し訳ないし、
そもそも、私ってどういう人間なんだ?

と、まあ、軽い気持ちで合コンや街コンに来たであろう男性にとっては、この上なく気持ち悪い思考回路になってしまう訳です。

それを発表する訳にはいかないから、結局既・未読スルーという形で表現するしかない訳です。

ひとつ学んだことといえば、
学生時代に恥をかいたり傷つくのが嫌だからと、
ひたすらに恋愛活動から逃げてきたツケはあまりにも大きすぎて、
23才喪女ではもう巻き返せないのではないかということです。

寂しさと自己嫌悪で爆発しそう

 

 

 

何年も前からそんな状況で、

恋人が23年間出来たことがないから、他人から無視される生活だから、

自分のことがどんどんどんどん嫌いになるし、

単純に寂しいし、男に認めて欲しいという承認欲求で今にも脳内爆発しそう。

 

 

恋愛出来ない事へのコンプレックスもそうだけど、

どの人も、ブスも性悪も根暗も陰キャも当たり前に出来てることが

自分には何十年掛かっても出来ないという事への劣等感で消えそう。

 

 

誰でもいいと思っても上手くいかないし、

もちろん、好きな人には好かれないし

 

 

自分が嫌いで嫌いでおかしくなりそうになったから、

家にあるお酒飲んで酔っ払って寝ようとしたのに、

全っっっ然酔えなくて、こんなんだったら最初から素直にストロングゼロ買ってくればよかった。

 

 

ただ無駄に夜中にカロリーの高い液体飲んで、結局気持ちにも眠気にも効かなくて、

そう思ったら飲んだ分全部吐き出したくなったけど、

歯ブラシ喉に突っ込んでも何も戻ってこなかった。

 

 

自分が自己嫌悪で爆発しそうになると、

もっと辛い人はいるとか言われて、

そんなもの何の比較にもなってないし、

「この坦々麺辛過ぎて食べられない」って言ったら、

「向こうのテーブルの人はもっと辛い麻婆丼食べてるよ。」って報告されるくらい意味不明だし、何の話?はて?って感じだから。

 

 

そんなことはどうでもよくて、

詰まるところ、今の私はとにかく焦りまくっていて、

何とかして人が当たり前にこなしている「恋愛」が出来るように奔走しているんだけど、

一向に成果は出なくて、酒に溺れたい気分っていう話。

 

 

 

 

 

生きてる理由は死にたくないから

 

 

こんなにも消極的な理由で生きている自分が情けなくなる。

 

最近は顔も浮腫んでるし、お腹も出てるし、マジで自分の存在が自分で鬱陶しくなる。

 

どんな選択肢にも必ず一方に「死」があるとしたら、

私は絶対にそれを選ばない。と言うか選ぶ度胸もない。

 

つまり、この先老後を含めどんなに最低最悪な状況に陥ろうが、

私は絶対に生きなければならない訳だ。

なんとなく、いずれ人は死ぬし、とか、人生なんて暇つぶし、とかいう境地に達したようなつもりになっていたけれど、

裏を返せば、一度どん底に落ちてしまえば死ぬまで一生どん底な訳で。

 

私分かったよ、みんなが何で無駄に努力しているのか。

みんなも私と同じで、死にたくないから、生きていくためにどん底を全力で避けているから頑張ってるんだね。

 

みんなそのことに気が付くのが早くてすごいね。

私バカだから、最近までずっと、なんで努力しない人間はクズ扱いされるんだろうって不思議でしょうがなかった。23歳なのに。

 

やっと気が付いた。気が付いたけど、これが努力するきっかけになる程私はもうポジティブじゃないみたい。

 

気付いたことで、人生がもっと怖いものにしか思えなくなったもの。

常に地獄と隣り合わせかのような。

 

実際の私はというと、それはもう、これ以上ないんじゃないかって程平凡な人生で、

特に事件もなく平和に生きているの。

 

それなのに、まだ起こりもしていない将来の恐怖に怯えながら、

若い時期を浪費している。

 

時々頭が耐え切れなくなって、こうして憑りつかれたように書きに来る。

 

そしてまた、何も解決しないまま不安だけが増大して眠る。