劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

24才営業職女性が過去の思い出にすがり続ける無様な様子。

全ての原動力が「怒られたくないから」になってしまったのはいつからだろう

人生で三度目の堕落期間に突入している。
第一に大学受験期間、第二に就活期間、そして今である。
(偶然にも四年に一度訪れているようだった。)


世の中は新型感染症の影響を受け、様々な分野で改革が行われている。
私の勤務先も例外ではない。
B to Bメーカーの営業職である私の出勤は「不要不急」
生まれて初めての在宅勤務を開始してから一月以上経過している。


過去二回の堕落期間を乗り越え、社会人然として過ごしてきたこの三年。
徐々にそれらしい姿に変わりつつあったというのに、
在宅勤務の影響でめっきは完全に剥がれてしまった。


思い起こせば、一度目の堕落を味わってからというもの、
全ての行動の原動力は「怒られたくないから」になってしまっていた。
(挫折ではなく堕落であることを改めて主張したい。)


つまり、怒る「人」がなければ、何も出来ない人間であるということだ。
会社でサボれば怒られる。怒られたくないからサボらない。
訪問件数が少ないと怒られる。怒られたくないからアポイントを打診する。
会議や商談時に準備不足だと怒られる。怒られたくないから準備する。


対面でのコミュニケーションがなくなった今、心が打撃を受けるような怒られ方をする機会はなくなった。
すると、本来の私の姿が丸見えになり、何もしない人間に戻ってしまったのだ。
三年かけてゆっくりと矯正してきた社会人としての私は数週間前に消え去った。


「怒られたくない」ただそれだけの理由でなぜ働くのか、
それは、最低限の動力で、ある程度のお給金を頂ければそれでいい、という考えのもと生きているからである。


もし、生きることにお金が一切かからないとすれば、
ほとんどの人間は遊び呆けるだろう。
それでも、生まれ持った好奇心や向上心に基づき、研究や社会貢献活動に勤しむ者もいるだろう。
私はそのどちらにも属せず、ただ「何もしない」人間になると確信している。


「生きる」現実ではお金がかかる行動である。
だから働く訳だけれど、そのなかでもやりがいや向上心、ライバル心を持ちながら働く人間は恐らく、
お金がかからない世界線でも何かに一生懸命になるし、人目のない在宅勤務でもきちんと成果物を持ってくるのだろう。


と、在宅勤務をサボり、自己嫌悪と罪悪感に苛まれる自分の行動を、
ここまで回りくどい表現で正当化することも、怒られない為の言い訳に過ぎないのだが。(誰に)