劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

29才女性 人生へのとめどなき、根拠なき不安を解放する日記

意図せずなりたくない嫌な人物像に近付いていた

 

生まれてからずっとパッとしない冴えない地味な人間だけど、

一応自分なりのポリシーに則って行動してきていた、数年前までは。

今はどうだろうか。

日を追うごとに、自分の(乏しい)経験と思考が身体から抜け落ち続けていることが分かる。

かつて趣味を聞かれたらライブと答えていた頃、「それは(自分がすることではないから)趣味とは言えない」と言われてムカついていた。

でも、今なら分かる。

私の場合、ライブに行くことに対しても必死にはなれず、絶対行きたいもの以外は気が向いた時にライブがあればチケットを買う程度だ。

常に最新の情報を把握したいという元気もない。

 

大人になってふと振り返ると、趣味と言えることが何もない。

ライブもラジオもお笑いも大好きだけど、何も残らない。記憶にしか残らない。

しかも、それを糧に何かを頑張る自分もいない。

 

将来子供を授かれたとしたら、子供になんの楽しさも教えてあげられない、心底つまらない親になってしまう。

 

そもそも、こんな何もないつまらない人間なのに、他人と婚姻関係を継続できていることが異常。

このままではいつか配偶者に捨てられる。

 

昔は、「上手くいかないことが多いけど、私はこう考えて、こう行動する。」という意思があった。

今はそれすら薄れて、ただただ思考停止で日々を流している。

気がつけば、他人を見て「こういう人最高!!」と思う人物とは限りなく対極の人物になっていた。

 

 

いつだって私をイラつかせるのは私だけ

 

私って生きてるあいだ基本的にイライラしていて、

他人との会話や飲食などによってそれを一時的に抑えている感覚なんですよ。

日常生活は自分をイライラさせないように綱渡みたいな感覚で過ごして、

少しでも踏み外すと一気に爆発するので、

自分として過ごすことは本当に疲れます。

 

家族からはよく誤解されてしまうのですが、これは決して他人や環境にイライラするわけではなく、

こんなことすらもできない自分、

こんなふうになるはずじゃなかった自分、

絶対できるはずだったのに出来なかった自分…

が許せなくて爆発してしまうだけなのです。

(もちろん、悪意ある他人の言動やあまりに理不尽な状況があれば別ですが。)

 

こんなの大人になればなくなると思ってました。

だけど、何十年経っても、

やっぱり私をイラつかせるのは私だけだし、

人生の大半は自己嫌悪との戦いだし、

残りの時間は反省と暴飲暴食のようでした。

 

 

人間関係構築コンプレックス

 

恋愛経験が乏しいままに結婚して数年、

もっと恥を恐れずたくさん恋愛に挑戦しておくべきだったと、改めて痛感する。

淡く甘酸っぱい胸キュンみたいなものではなく、

痛々しくて恥ずかしい人間臭い恋愛にチャレンジしておくべきだった。

 

両親はある出来事をきっかけに夫婦関係が破綻していて、

それを十数年毎日見て来たものだから、

どんなに仲睦まじい夫婦でも、年齢を重ねたら必ずいがみ合い軽蔑し合うものなのだと本気で思い込んでいた。

ここ数年、友人や職場の話を聞いているうちに、どうやらそうではない夫婦もそう珍しくはないことを知った。

しかし、私は恋愛経験も少なく、身近な例がこの様でしたので、良い妻の姿がよく分からず、良い夫婦を運営できる自信が全くない。

 

恥ずかしながら、思春期に異性に揶揄された経験が深く残り、

何年経とうが異性に対して常にうっすらと「怖さ」を抱き、

私なんかの好意は笑いものにされると思って、

異性や恋愛に積極的になることも怖かった。

 

だけど私、本当は多分、承認欲求が強いのだと思う。

若い頃にがむしゃらに恋愛することもなく30を目前にした今、

他人からの社交辞令を受けただけで、久しぶりに心に光が差す感じがした。

こういう思いを十代から二十代にかけてもっとたくさんしておけば、

他人におだてられても一切揺らがない強い意思を持てたのだろうか。

 

本当は自意識過剰で常に構ってほしくて誰かに認められたいけれど、

そんな自分はきっと気持ち悪がられると想像し、

自己主張できないまま、まるでクールな人間のように過ごしてしまった代償か。

この先数十年続くであろう夫婦の運営のために、もっと他所で修行を積んでおくべきだったのかも知れない。

 

「いくつになればさびしさや恐怖は消え得る」

 

毎日お風呂に入れることはとても恵まれているし、ありがたい環境であるということを大前提に、

昔からお風呂に入る=「無」の時間が苦手で仕方がない。

実家(脱衣所も自室もなく●●●の鳴き声も聞こえながらも一軒家ではあった)にいた頃、

幼少期から思春期くらいまでは、お風呂場にいる間中全力で歌を歌うことによって、

大人になってからは、防水スピーカーで音楽を流すことによって紛らわしていた。

実家を出て初めてマンションに住んでからはそのどちらもできなくなった。

リビングから脱衣所へ移動した途端に無音の空間になり、

そうすると、頭の中でエンドレスに、

何かしら焦りと不安と自己嫌悪とがグルグルグルグルグルグルと止まらなくなる。

それは寝る前も同じで、

夏フェスにでも行ってクタクタに疲れ果てない限りは、ラジオを聞きながらでないと入眠できない。

普段の生活では、

食べる、歩く、電車に乗る、業務遂行するなど、何かしらして紛れる場合が多いが、

とにかく「余白の時間」が非常に苦手。

その結果、手っ取り早く明るくなれるのが、私の場合は飲酒で、

適度な段階で気分よく眠ればいいものの、理性が保てなくなって過食しては後悔する日が増えてきた。

いい年して自己嫌悪が止まらなくなる。

 

適性皆無な営業職を逃れ、ずっと興味のあった職種に近づいたものの、

それはそれで次の不安や焦りが襲ってきて、

キャリアパスやライフプランへの不安と、それを助長する自分のスキルの低さ、

全てひっくるめて「自信過剰」とも思う。

思い返せば、

昔から、社交性に欠け、効率が悪く、世渡り下手で愛想のない人間だったし、

むしろ今この現状が身に余る状態に過ぎないんだと言い聞かせる。

※件名の歌詞に共感したのは中二だったからだと思っていたが、やはり子供を持たない限り失せないものなのか。。。

 

 

しょうもないノスタルジーのために明日の自分を犠牲にしてしまう夜

 

10年前、なんにもない土曜日は10時頃に目覚めると、

そのままベッドに転がりながら当時好きだったヴィジュアル系バンドの曲を聴き、

夕方のバイトまでひたすらダラダラと過ごしていた。

まさか自分が将来自然に知り合った人と結婚できるだなんて1ミリたりとも思っていなかった。

 

似合もしない黒い服と

無理して買った唯一のジャスティンを着けて、

痛々しいアイメイクと気合いの入った巻き髪で、

チェキを買うために早めに出発し、

暑い日も寒い日もたった1人、

坂道やら繁華街やらホテル街になされる列の中で

開場までひたすら時間が過ぎるのを待つ不毛な時間

 

そんな孤独で小っ恥ずかしい非生産的な日々は、

黒歴史でありながらも何故か結構大切な思い出になっているから不思議。

 

もうライブに行くことも新しい曲を聴くこともなくなってから久しいけど、

中学〜大学生の頃に聴いていたバンドの曲は、

いまだにたま〜に聴いてしまう。

 

幼少期から結婚するまで住んでいた実家が引っ越すことになり、

二十数年間の蓄積をなんとか捌いていく中、

それらのCDやら雑誌やらが出てきた

本当の本当に懐かしい思い出になっているものに関しては、やっぱり捨てられなかった。

が、配偶者にはヴィジュアル系が好きだったことは全く話していないので、

とりあえず100円ショップで買ったノート型のCDケースに移して持ち帰り、引き出しの奥底に仕舞い込んだ。

いつかどうしても聴きたくなった時に掘り起こすだろう。

 

なんの能力もセンスも爆発力もない至って平凡な人間になったけど、

さすがに10年も時間が過ぎれば

まあまあ状況は変わるものだなと感じる今日この頃。

 

 

 

不安と後悔をあと何回繰り返せば学ぶのか

 

誰も読んでいないブログを立ち上げて早6年半

 

コミュ力の無さで就活に苦戦し、

全く適性のない営業職として入社し、

漠然とした思いで「早く営業辞めたい」と毎日口に出していた数年間。

コロナにより営業活動のスタイルが多様化したことで、なんとか騙し騙しやり過ごしてきた。

 

そもそも、「適性がない」「売上が悪く雰囲気が悪い」だけで、特段ノルマが厳しい訳でもないし、

このままぬるっと続けた方がコスパが良いとすら思い始めた。

 

でも、6年以上営業職に従事して私なりに感じたことは、

営業職においても、突出した能力のある人以外は他の場所で役に立つスキルの習得は難しいということ。

特殊な業界のトレンドやニッチな商材の細かすぎる製品知識は身についても、

果たしてそれが自分の知りたいことなのか。

技術者にとっては大きな財産だし、営業職は本来その知識を活用して戦略を練るべきなんだろう。

だけど、私にはどうしてもそれが難しかった。

 

入社前から興味のある業務への未練も捨て切れず、その職種での転職を試みた。

基本的に実務経験必須の為、最終的には所謂「一般職」での転職が決まった。

 

私の人生は非常に平凡で、今の所大きなトラブルもなく進んでいる。

しかし、私はそれに釣り合わないほどの不安を常に感じてしまう性格だ。

発生するかも分からない事象や、そうなるとも限らない将来への想像だけが増大し、

ひとりでにネガティブな思考に陥る。

 

そのくせ、リサーチ不足な状態で大事な判断を独断で下す。

だから今になって本当に不安で仕方がない。

 

もしも私が人目を一切気にしない人間で、

寿命まで健康に生きる保証があったとしたら、

一生独身で生きていたかも知れない。

 

 

 

 

 

年齢を重ねるごとに人生の難度が上がるシステム

 

年々人生の難度が上がっているように感じる。

(というより、加齢とともに人生の解像度が上がり、

見えていなかった困難に気付き、もともと高かった難度に気が付く仕組み。)

収入に見合った過不足のない人生を送りたいと思っても、

いわゆる「普通の会社」に勤めて、「普通の生活」を送ることはかなり難しい。

 

私には物心ついてからずっと結婚願望がある。

結婚生活に憧れを抱いている訳ではない。

結婚したい理由は大きく2つあると考えている。

 

一つは、「孤独」という感情に耐えられないから。

私は以前、恋人がおらず自信をもって友達と呼べる人もいない時期を長く過ごしていた。

一人で過ごすことで感じる自由なんてたかが知れていて、

一人で生きる孤独なんかよりも、誰かと過ごす面倒くささの方がよっぽどいい、

ということをその時期に強く感じた。

 

二つめは、いわゆる「普通の人生」を送りたいから。

(ここで言う「普通」はかなり幅広く捉えていて、見方よってはかなり幸せな場合も含んでいる。

つまり、健康で衣食住に困らず安全な生活を送ることは、それだけでも十分に幸せであるということ。)

私は生まれてから今まで、細かい差異を無視すれば、

かなり普通な、一般的な、敷かれたレールを走るような人生を送ってきた。

それは私にとって奇跡的なことで、これからもそんな風に生きていきたいと考えている。

「多様化」が謳われる時代とは言え、

まだまだ家庭を持つ方がより「一般的」と言える世の中である。

そのような中、友人や社会における「少数派」にはなりたくないのだ。

 

しかし年齢を重ねるごとに、自分が思う「普通の人生」を送ることは、

その形が少しづつ具体化されていくのにつれて、

思いのほか難度の高いことであると気付かされてしまった。

 

20代も終盤に差し掛かり、

「この人は将来のことをどう考えているのだろうか」

「そもそも、結婚すること自体コスパが悪いのではないか」

「いや、そんな悠長なことを考えられるのは若いうちだけだ」

などと月並みなことで悩むようになった。

 

たとえ結婚したところで、

妊娠・出産のタイミング、経済的負担、子育ての方針、住まいのこと、老後の資金、両親の介護、勤務先の将来性、自身含めた家族の健康・・・

挙げればきりがない程、死ぬまで一生頭を抱え続けることは必至だ。

 

「それが人生」と言われたところで、

私の舐め腐った根性では「そっか、がんばろ!」とは思えない。

そして、毎日このようなことを考えあぐねている訳だけど、

特に結論は出ていない。それが人生だから。