劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

28才 脱・営業職女性の不安ぶちまけ日記

このまま非現実になだれ込みたい

辞めたいなら辞めればいいじゃんとか、思っていたけど、
結局のところ大手の子会社で結構安定してるし、
収入面には文句がないし、ブラック企業な訳ではない。
だからリスクが高い。

もし人と比べる気持ちとかが一ミリでもなければ、
きっと簡単に辞めてるし、
安定感なくてもいいから取り敢えず雇ってくれるところを探すのかも。

でも、今取り敢えず雇ってくれそうなところを見ても、
今の会社のが安全だよなとか思っちゃう訳で。

この一年ずっと辞めたいと思っていたけど、
失敗するのが怖くて何もしていない。

向いていないけど、じゃあ何が向いているのか、何がしたいのかと説得出来る訳ではない。

くそ。

今人生で一番憂鬱な毎日を送ってる。

会社員なら仕方ないとか言うけれど、それを脱したいと思って足掻くのは駄目なの?

私はこんな現実に直面なんかしたくなかったし、
いつまでも適当に生きていたかったのに。
中途半端に人目や人の評価を気にする面があるせいで、
こんなくそみたいな気持ちで、自分と乖離したくそみたい生活送ってるよ。

自分が自分じゃないみたい。
こんな大人になるつもりなんてこれっぽちもなかった。
誇れるものも、信じられるものもないし、
こんなの続ける意味ないよ。

君が教祖


人はみんな、何かしらの宗教を持っている。
何か信じるものでもない限り、人生なんて長すぎる。
自分一人の心ではとても生きていけないね。
だから、信じるものを決めるの。
だけどそれは、別に本物の宗教である必要はない。
バンドのボーカルとか、夢の国のネズミとか、普通に好きな人とか。
それぞれの教祖様だよ。
だから私は素敵な曲やら、なんとなく心を動かされる映画とか、読みたくなる本とか生み出せる人をこの上なく尊敬する。

でも、その事を忘れてると、何がよくて生きてるのか分からなくなっていく。
多分だけど、そういう人は本物の宗教にもはまりやすいんだろうな。

4年前から好きなバンドがいて、すごく好きだったりどうでもよかったりする時期を交互に繰り返して、結局まだ好きなんだよ。

頻度はかなり低いけれど、いまだにライブであのボーカルを見ていると、なんか神様みたいに見えて、生きる活力が一瞬だけ湧いたりする。

帰りの電車で全て蒸発するけれど。

そんな23才なんだよなあ。

どこにでもあるつまらない人生


毎日どうしたらいいのか分からなくて、
その状況に慣れることもなく、毎朝新鮮に不安。

出張ばかりの週があっても、身体的には疲れているのに何の達成感もない。

今日だってせっかくの金曜日なのに、今週も頑張ったな~とは思えない。

経費ばかり無駄に使って、会社になにも還元できないし、
外出の少ない週はこいつ何やってんだよとか思われてる気がして

私は自己肯定感が著しく低いから、何をやっても馬鹿にされているんじゃないかとか、非難されるじゃないかとか気にしてしまう。

生きてて忙しかったと思える時期もないし、いっつも適当に生きてる。


よく、どうして営業なの?とか、女性なのに珍しいねとか言われるけれど、正直「間違えちゃった」としか言いようがありません。

出来ると思っちゃった、向いてると思っちゃったから。

でも、入社して冷静に考えると本当に向いていないことは明白だし、それを甘えとか逃げとか言わないでほしい。


誰にでもある初期の戸惑いと、本当に適性がないのは全く違うと思うから。もちろん私は後者。


愚痴は家でしか言わないようにしているけれど、
必ずと言っていいほど、仕事としてはいい方だとか、もっと大変な人はいくらでもいるとか、話をすり替えられる。

私はただ、これまでの自分と比べて生きづらいって話をしているだけなのに。

ずーっと「ぽい」環境で生きてきたから、
間違ってでも「ぽくない」環境に今いることが耐えられない。

本当に毎日「早く辞めたい」以外のことが考えられなくなっているけれど、無職になるのは嫌だから、今すぐ辞めることは出来ない。

虚無の2年間


気が付けば、このブログを開設してから2年もの月日が経過してしまった。

恐ろしくて振り返りたくない。

地獄のような意識弱い系喪女就活生時代に、
脱喪女を掲げて意気揚々と始めたこのブログ。

クソみたいな自分と、姉に対する怒りにまみれたクソみたいな毎日だったなぁ。

それから無事に?就活は終わり安寧の時期が。
ところが、解放感を味わうことが出来たのも束の間、
やがて、言い表しきれない劣等感と焦燥感と敗北感が止めどなく溢れ出てきた。

それは、周りの人に対しても、昔の自分に対しても。

だけれども、意思の弱い、覇気のない、生命力のない私は、就活を再開するだとか、もう一年頑張ってみるなんてことはなく、ひたすら現実逃避をするかのように遊んで過ごしてしまった。

(楽しかったのは確かだが)

そして、あの地獄のような就活時代を簡単に凌駕してしまう、
更なる地獄のような社会人生活が幕を開けてしまった。

毎日、明日になるのが憂鬱で、朝起きてしまったらもう、何も考えないように支度をし、この世の終わりにでも向かうかのような気持ちで満員電車に乗り込む5日間。

今すぐにでも抜け出したくて、だったら転職でもすれば?という自分は確かにいる。

実際、何校かの公◯員よびこーに話を聞きに行ったりもした。

だけど結局、会社が始まってしまう時間までの間に、いかに現実逃避できるのかということに専念してしまう意思の弱い私が支配してしまう。

「意思が弱い」という言い訳を振りかざし、何もかもから逃げて、結局なんにもできない自分しか残らない。


何も出来ることがない。



今朝、大学の知り合いにSNSをフォローされた。

その子は、誰もが二度見してしまうほど顔が可愛く、性格も良い。

そして、SNSの投稿を覗けば、爽やかな恋人とのツーショットがびっしり並べられていた。

そこには、恋人や家族に対するあまりに真っ直ぐな思いも綴られており、それは何の胡散臭さも感じさせないものだった。

私が一人呆然と過ごした2年間で(ここでは敢えて2年間と言いたい)、あの子は周囲の人からどれだけの愛を受け、どれだけの素晴らしい景色を見てきたのだろう。

そんなことを考えてしまい、仕事初めの朝に、死ぬほど憂鬱な気持ちになってしまった。

同じような表情で、会社に行きたくないと話していたあの子の裏側には、こんなに愛される日常があり、それがどれほど糧になっているのかなんて、私には想像することすらできない。

それは私の知らない生き方だから。

共感し合っていた訳ではないのか。

素直で可愛いあの子やその子が、たくさんの愛を受け、人間としてさらに成長するほど、
私はどんどん卑屈になり、そうなるといよいよ、私が生きている意味もないように思えてくる。(≠消えたい)

どれだけの言葉と時間を費やして、心の歪みの原因を解明しようとも何の解決にもならない。
それどころか、更に暗い気持ちで夜を明かすことになることに、私はとっくに気付いている。

それでも、支え合える恋人のいない私は、
このブログに劣等感と焦燥感と敗北感を積み上げ続けるしかないみたいね。

今年の総括

やたらと年末感を出す紅白に、
何とも言えない焦りと苛立ちを感じていた2016年の大晦日、まるで昨日のことのように思い出されます。


そのような気持ちは大分薄まりました。
しかし、NHKとは罪なもので、「ひよっこ」なる朝ドラも私にとっては眩しすぎて、何とも言えない気持ちになるのです。
若者が頑張っている物語に弱いため、
総集編の流れるリビングで出かける支度(髪型)をしながら、不覚にも右目の目頭から一筋の涙が流れてきたのです。
そんな気持ちとは裏腹に、
何も努力していない自分を思い出してしまい、自己嫌悪にもなるのです。


それでも、昨年よりはるかにましなのです。
振り返ってみると、今年は暗黒期でした。(平日)
毎日、毎日、毎日毎日毎日毎日…本当に毎日、
なんなら毎分のように、就職活動もとい大学生活への後悔と、これからの社会人生活への不安、合わない上司への不満にまみれていたからです。

しかし、どうでしょう。会社で過ごした時間を無視すれば、人生の中でもかなり楽しく充実して過ごせた方ではないでしょうか。

相も変わらず、恋愛はからっきし駄目で、長年喪女を拗らせております。
しかし、それ以外では、高校、大学の数少ない友達とたくさん遊び、たとえ親しい人が少なくても誘われた場には出来る限り参加し、その結果これまでより会う回数の増えた人もいるようないないような。

ライブやコンサートにも(あれほど僻みイジっていたフェスにも)結構行けたし、運動も始められたし、私にしては珍しく、結構満足しているのです。

だって、さっきざっと数えてみたら、
土日祝日お盆その他休暇合わせれば110日以上は会社がなくて、つまり1年の1/3近くは会社から逃れてだいたい楽しく過ごせていたと言うことだから。


今年の満足度で、来年が少し不安になります。
でも、来年こそは、転職に向けて考えていけるような意思の強さと熱い眼差しを身に付けて頑張りたいものです。

人生が長い。輝けるときはほとんどないのに。

高校や大学という、いわば恋愛するための期間とも言える7年間、
私は一体何をしていたのだろうか。

一方的に好きになることしかなく、思いを伝えたのはたった一回のみ。

あまりに枯渇した生活から逃避したく、高校時代に公開された恋愛漫画実写映画を見た。

あまりのピュアさと爽やかさに、こんな恋愛が出来ると信じて疑わなかった高校時代の自分を思い出した。

続けて同じ俳優が出演する恋愛ドラマも見た。
これが放送されたのは大学に入学した年。
つい昨日のことのようだが、もうすでに4年も前のこと。

たくさんの恋愛ドラマや映画が浪費されていく中で、
私だけなんの成長もなく、昔の自分の期待に一切応えることなく、何年も何年も同じようなやり場のない感情を繰り返し続けてる。

実体験がない分、作られたものに他人の恋愛を学んでいる節は否めない。
これが高校生や大学生を題材にしたものであれば、「好きです」という告白があるが、
それを過ぎれば、なし崩し的な交際や体の関係から始まる交際ばかりで、言葉で思いを伝えるシーンが描かれるものは圧倒的に少なくなる。

つまり、私は分かりやすく段取りを踏む恋愛を練習できる期間になにもせず、もう取り返しのつかない場所まできてしまったのだ。

なにも考えずに片想いだけで立派な恋愛となっていた頃に戻りたい。いや、戻れないが…

喪女、勝手に失恋す


今に始まったことではないけれど、恋愛のやり方が分かりません。



いつもいつも、
人を好きになっても素の自分を出すのがこわくて、
本来の自分とは違う自分を装って、
なんの進展もなく好きな人に恋人ができて無音で消える(笑)



ゆっくり話せる女性が羨ましい。

私はいつも自分の話なんか興味ないだろうなとか、
早く喋らないと流されるとか思うと、
素の自分を出すよりも無難な答えをコンパクトにまとめることに注力してしまう。


それでいつも「○○は適当だからな」とか「○○はクールだから」と言われて、人の関心を惹かずに消えるモブキャラと化す…



自分に市場価値がない。自己嫌悪に陥る。手遅れ。でも今頑張らなければ更に手遅れになる。




気になる人が出来たのに、あっさり恋人の存在を明かされ、しかもなんとなく相手の見当がついてしまって、

こうしてまた、私がまともな人間になる道がひとつ閉ざされたという訳だ。



まあ、気になっている段階なだけ良かったと思おう。

(そう思うよりほかない)


淡い恋心は早く、早く忘れよう。


淡い恋心なんて今時小学生でもないよな…