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劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

22才・大学4年・彼氏なし・友達極少・世界的に見れば恵まれた環境下にいながらも、毎日毎日憂鬱さを感じざるを得ない一般庶民の戯言

就活終了2か月後からの(不毛な)後悔

 

 

8月中旬、内定先の最終面接があった。

結果はすぐに来た。他に1つしか持ち駒がなかった私の気持ちは、もうほとんど就職活動の終了へと向かっていた。

その残りの1コマの最終面接が8月下旬にあった。

終盤の持ち駒の中では最も志望度が高く、日ごろから「大好きだ」と思えるものに関する職業だった。

しかしそれは、私に欠けている創造力や発信力を常に強く要する仕事であり、

その力があることを面接の場でプレゼンテーションすることはできなかった。

ずっともらえていなかった「内定」がもらえたという解放感も手伝い、

最後の面接は完全なる「記念受験」状態で挑んだ。

 

 

というのは、どこから見ても言い訳に過ぎない。

最後の面接まで気を緩めずに準備できなかったこと、

アピールできるほどの素質や能力を何も持ち合わせていなかったこと、

これらを含めての不採用だったはずだからだ。

 

 

しかし、現在のゼミも活動がなく、授業もなく、(友達も彼氏もいない)宙ぶらりんな状態で様々な映画やドラマを見ると、

言いようのない後悔が押し寄せてくるようになる。

 

 

大変でも、好きなことなら頑張れるのではないか

夢を持ち続けられるのではないか

 

思い出すのはやはり高校時代の自分で、

あの頃は、惹かれる部分があったからある部活に入り、

大変な毎日ではあったが、あこがれる先輩もいたから頑張れたし辛いと感じなかった。

忙しいけど、それを充実感と捉えられた。

 

 

落ちてしまった会社の方がそれに近い気持ちで働けるようなイメージができる。

内定先ではどうだろうか。

 

 

なにはともあれ、

もうやり直すとはできないし、仮にやり直したとしても何か変わるのかという疑問もある。

なにより、まだ働いてすらいない。

それならば、自分の行動への後悔はほどほどにして、ここからいかに自分を変えていくかを考える方が先決であろう。

 

 

長年喪女やっていると、自分だけの世界で生きることになるから、

妄想だけがどんどん幅を利かすようになり、現実的な問題から遠ざかっていく。

もし、恋人の一人でもいれば、ささやかな日常に対してのありがたみや幸せを、

今の何倍も感じることができるだろう。

 

 

「いいなあ 愛される人は いいなあ」

 

ここにきて某ドラマの35歳童貞のモノローグが心に刺さる。

喪女はどんなことに悩んでも、結局ここに行きつくからだ。

このセリフは、一見ありきたりな、言い古されたフレーズのように聞こえるかも知れないが、全国の喪女・童貞の心をうまく表していると感じる。

つまるところこれなのだ。望むのは派手な幸せではない、ただただシンプルに「愛されたい」(恋愛というよりは人間愛のようなもの)

 

 

 

しかし、ひらまさだって味方のような顔で近付いてきたが、

ちゃっかりかわいいかわいい彼女と、ほっこりあったかい日常を始めていやがるから油断ならねえ。

 

自尊感情の低い喪女だから、小賢しいみくりちゃんみたいな彼氏が欲しい。