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劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

22才・新社会人・彼氏なし・友達少・日々老いゆく現実に震えながらも、若さを武器に楽しく生きることを永遠に夢見る一般庶民の戯言

誕生日なんて大嫌い

 

 

この世の中に、

私よりも祝われずに22歳を迎えた私立文系女子大生がいるだろうか、いや、いない。

私の人生の中でも、最も祝われなかった最悪な誕生日だ。

(ちなみに、その記録は毎年更新されている)

 

~以下懐古~

 

高校生の頃は、朝学校に行くと部活の友達やクラスの友達がおめでとうと言ってくれた。プレゼントをくれた人もいた。

 

~現実~

 

それがどうしたことだろうか、カウントダウンの瞬間も一人ぼっちでむかえ、

当日も一人で過ごす。こんなにも寂しい誕生日を過ごすなんて、私の人生設計には一切なかった。

もちろん、数少ないラインをくれた友達のメッセージには感謝しているけれど…。

誕生日の人がいるたびにおめでとうと言い合うライングループが2つほどあるのだが、

そこでも私だけが祝われなかった。笑えない。みじめ。

 

考察① 誕生日アピールをしなさすぎる

 

「アピールをして祝われなかったらもっと悲しい」という特有のネガティブシンキングが働いて、「アピールをしないから祝われない」という当然かつ最悪な結果を生み出しているのだろう。

 

考察② SNSから遠ざかりすぎている

 

ツイッターは一度アカウントを消してからは少人数の友人のみをフォローし合っている。ラインというものもどうにも好きになれず、気分がのった時には軽快にチャットがはずむのだが、そうでないときには後先考えずに既・未読スルーをしてしまう。

その結果、SNSをコミュニケーションの中心と考える知り合いばかりの私は、スマートフォン利用者でりながら、いまだガラパゴス状態にあるのだろう。

 

SNSの普及は、このアン・ハッピーバースデー現象に拍車をかけている。

シェアが大好きないまどきの健全な大学生は、ケーキのプレート・おめでとうメッセージのスクリーンショット・数々のプレゼント(YSLの口紅とか)などの画像をインスタグラムにシェアする。

そして、サプライズであったこと・いつもお世話になっていること・これからもよろしくね・こんな私ですが仲良くしてねなどのエモーショナルな短文をツイッターに投稿する。

 

それを見た私は、自身の祝われなさが際立たされたような気分になって、

自己嫌悪&自己嫌悪&自己嫌悪×20000

といった具合に方程式が完成される。

 

祝う風潮がもしなければ、ただの一日として静かに過ごすだろう。

しかし、人であれば「友人・恋人・仲間」に祝われるのがふつうのこと

という概念が当たり前のようにそこに存在するから、

「誕生日」という一日、無駄に自尊心をズタボロにしながら過ごすことになる。

 

悲しくなってきたわ。