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劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

22才・大学4年・彼氏なし・友達極少・世界的に見れば恵まれた環境下にいながらも、毎日毎日憂鬱さを感じざるを得ない一般庶民の戯言

クソみたいな日常

昨日は本当についてなかった。
ついてなかったことをお知らせできる相手もいねえ。
おととい改心したんだよ。
それでその日の夜曲とか聴きながら涙とか流れてきて、
ああ、自分は間違ってたんだなあとか思ったりして、
これからはちゃんと生きようとか思ったんだよ。
それで、ちゃんと寝て、睡眠って最高だなとか思ったんだよ。
いつも脳の右上当たりで雑音が鳴ってる感じがしたんだけど、それもなかったし、寝るって大事なんだな、今日からはちゃんと寝ようとか、思ったりしたんだよ。

それが昨日よ、清々しい気持ちでゼミの飲み会に行ったのよ。結構コミュ障喪女なりに周りの雰囲気に合わせて一体化しようとしたのよ。
でも駄目だね。私は逃げるクズだ。クズとか言っていつも結局逃げてる。そういうのを、コミュ障とかいってクズとか言うのを言い訳にして逃げてる。
だからいつまでも私は私のままなんだ。

それで、一人反省会でもしようと途中下車して格安チェーンカフェに行こうとしたものの、営業時間がクソだったから、また電車乗って次の場所で降りたのよ。そしたら、何らかのイベントがやっていた模様で、クソみたいな腐女子みたいな人が数百人いて、いつもガラガラで広い店舗なのに、大行列よ。

結局いつものファストフード店行くしかないわけじゃん?でも最寄り駅まで帰る電車でも、満員なのに彼女守るために腕を不自然な位置に固定するクソみたいな男性の前に立ってしまって、押されるわゴリゴリするわで不快×不快×不快の4乗な訳よ。

そうこうしてやっとの思いでついた、いつものファストフード店でも、注目した飲み物の何らかの材料が見当たらなかったらしくファストフードなのに無駄に待たされるわ、その間に取ってた席の隣になこっちまで荷物侵食させてくる腐女子が陣取ってるわ、そいつらが腐なマシンガントークするわで不快×不快×不快×不快×不快×∞な訳よ。



あの夜流した私のピュアな涙は一体なんだったのか。
もう、いいかげんほっこりとした幸せにはたどり着けないことを悟って、大人しく陰険な雰囲気漂う教習所に通うこととするよ。

考えたら負け

たとえば、

毎回鍵の閉まったトイレにノックしてくる空気の読めない自己中心的で融通の利かない尊敬できない父親のこととか、
22才にもなって未だに姉とあり得ないほど狭い部屋で生きてて、その消灯が早すぎて見たいテレビも満足に見られないこととか、
毎日アルバイトと教習所の繰り返しで感情の発散がラジオかテレビか映画でしかできなくて心が枯れ果てていることとか、
いつまで経っても恋人がいないどころか恋愛の気配すらなくて映画のような平和な恋愛を渇望してることとか、
この4年間で徐々に心が本来の自分から離れていって、自分が一番なりたくない自分になってしまっていることとか、
そんな自分を変えたいのに4年という月日が長すぎていきなり変われないこととか、
それじゃあ徐々に変わっていこうと決意する度に些細なことに苛立って自分の愚かさにまた落胆することとか、
昔の自分と今の自分がおんなじ人間だとは到底思えないこととか、


全部、全部、考えたら負けだよね(笑)
思考停止こそが最大の自己肯定に繋がるという今の自分の虚しさ。
普通、人間は考えることで変わっていくのに、
今思い浮かぶことは考えれば考えるほどネガティブな発想に繋がっていくから、
もう考えないことを学習したいよ。

最近歩いててもイライラするし、
夜には泣く。
便利な言葉「メンヘラ」
自分の理解できない感情の波を簡単に「メンヘラ」と分類して片付ける人多いよね。

無能から生まれる劣等感と虚無感と未来不安感

自分が無能過ぎて、家族が頭おかし過ぎて、家にプライバシーがなさ過ぎて、それを打開する経済力のない自分にイラつきすぎて、冬とか寒すぎて、まじでもうドロップアウトしたい。


しかも長い夜を越えるためにネットサーフィン・動画視聴は必須なのに急にWi-Fi圏外になるし、それを解決する方法も分からないし、なにせ家族が寝てるからWi-Fiの場所まで辿り着けないし、マニキュア売り切れてるし、代わりに買ったやつの色が許容範囲越えてるし、コートないし、買う踏ん切りつかないし本当なんなの?なんか運に見放されてる。



最近も私は喪女なんだけど、
ある事情により4年生なのに卒論と言うものがなくて、
なんと言うか学費の無駄と言うか、時間の無駄と言うか、暇で暇で虚無感と劣等感を日毎感じずにはいられない状況に置かされています。
数少ない友達と会えばみな、卒論に追われる日々に疲れている様子で、これが正しい私立文系芸人のあるべき姿だなとか思いつつ羨ましくなっちゃう所存で。

でも、卒論いいな~とか言うと当然「ない方が絶対いいよ」と言われる訳で、多分私も卒論が必須だったら同じように言っていたと思うの。
だけどね、(だいたい)同じ学費を(奨学金借りてまで)払っているのに卒論のひとつも書くあてがないなんて理不尽さを感じずにはいられないよな。
だからみんな最近冷たいのかな?


だから毎日買い物かバイトに費やすしかないんだよデートも友達もない私は。





・・・






いや、待てよ?
そんなに暇で理不尽とか言ってるなら自発的に何か勉強すればよくね?
え、バカなのかな私は。
ちょっと、ちょっと、自分の底無しの無能さに吐き気してきたわ。



あとね、結構重大なことに気がついてしまったんだけど、
普通どこかで落ち込んだり泥のような生活送って改心してやり直すとしたらそれって高校から大学が妥当な気がするんだよね。
つまり、高校が思うように過ごせなくて、何でもできる大学に入って自分を変えるんだよね。
私その'挫折'とも言えない謎の低迷期が大学4年間にぶち当たってるんだけど、これってもう手遅れじゃね?



とか屁理屈言ってる暇あるなら早く寝ろ、教習所行け!!!!!!教習所の試験すらパスできねえのに卒論やりたいとかほざくな寝言は寝て言え無能の根性なしが!!!!!

就活終了2か月後からの(不毛な)後悔

 

 

8月中旬、内定先の最終面接があった。

結果はすぐに来た。他に1つしか持ち駒がなかった私の気持ちは、もうほとんど就職活動の終了へと向かっていた。

その残りの1コマの最終面接が8月下旬にあった。

終盤の持ち駒の中では最も志望度が高く、日ごろから「大好きだ」と思えるものに関する職業だった。

しかしそれは、私に欠けている創造力や発信力を常に強く要する仕事であり、

その力があることを面接の場でプレゼンテーションすることはできなかった。

ずっともらえていなかった「内定」がもらえたという解放感も手伝い、

最後の面接は完全なる「記念受験」状態で挑んだ。

 

 

というのは、どこから見ても言い訳に過ぎない。

最後の面接まで気を緩めずに準備できなかったこと、

アピールできるほどの素質や能力を何も持ち合わせていなかったこと、

これらを含めての不採用だったはずだからだ。

 

 

しかし、現在のゼミも活動がなく、授業もなく、(友達も彼氏もいない)宙ぶらりんな状態で様々な映画やドラマを見ると、

言いようのない後悔が押し寄せてくるようになる。

 

 

大変でも、好きなことなら頑張れるのではないか

夢を持ち続けられるのではないか

 

思い出すのはやはり高校時代の自分で、

あの頃は、惹かれる部分があったからある部活に入り、

大変な毎日ではあったが、あこがれる先輩もいたから頑張れたし辛いと感じなかった。

忙しいけど、それを充実感と捉えられた。

 

 

落ちてしまった会社の方がそれに近い気持ちで働けるようなイメージができる。

内定先ではどうだろうか。

 

 

なにはともあれ、

もうやり直すとはできないし、仮にやり直したとしても何か変わるのかという疑問もある。

なにより、まだ働いてすらいない。

それならば、自分の行動への後悔はほどほどにして、ここからいかに自分を変えていくかを考える方が先決であろう。

 

 

長年喪女やっていると、自分だけの世界で生きることになるから、

妄想だけがどんどん幅を利かすようになり、現実的な問題から遠ざかっていく。

もし、恋人の一人でもいれば、ささやかな日常に対してのありがたみや幸せを、

今の何倍も感じることができるだろう。

 

 

「いいなあ 愛される人は いいなあ」

 

ここにきて某ドラマの35歳童貞のモノローグが心に刺さる。

喪女はどんなことに悩んでも、結局ここに行きつくからだ。

このセリフは、一見ありきたりな、言い古されたフレーズのように聞こえるかも知れないが、全国の喪女・童貞の心をうまく表していると感じる。

つまるところこれなのだ。望むのは派手な幸せではない、ただただシンプルに「愛されたい」(恋愛というよりは人間愛のようなもの)

 

 

 

しかし、ひらまさだって味方のような顔で近付いてきたが、

ちゃっかりかわいいかわいい彼女と、ほっこりあったかい日常を始めていやがるから油断ならねえ。

 

自尊感情の低い喪女だから、小賢しいみくりちゃんみたいな彼氏が欲しい。

 

誕生日なんて大嫌い

 

 

この世の中に、

私よりも祝われずに22歳を迎えた私立文系女子大生がいるだろうか、いや、いない。

私の人生の中でも、最も祝われなかった最悪な誕生日だ。

(ちなみに、その記録は毎年更新されている)

 

~以下懐古~

 

高校生の頃は、朝学校に行くと部活の友達やクラスの友達がおめでとうと言ってくれた。プレゼントをくれた人もいた。

 

~現実~

 

それがどうしたことだろうか、カウントダウンの瞬間も一人ぼっちでむかえ、

当日も一人で過ごす。こんなにも寂しい誕生日を過ごすなんて、私の人生設計には一切なかった。

もちろん、数少ないラインをくれた友達のメッセージには感謝しているけれど…。

誕生日の人がいるたびにおめでとうと言い合うライングループが2つほどあるのだが、

そこでも私だけが祝われなかった。笑えない。みじめ。

 

考察① 誕生日アピールをしなさすぎる

 

「アピールをして祝われなかったらもっと悲しい」という特有のネガティブシンキングが働いて、「アピールをしないから祝われない」という当然かつ最悪な結果を生み出しているのだろう。

 

考察② SNSから遠ざかりすぎている

 

ツイッターは一度アカウントを消してからは少人数の友人のみをフォローし合っている。ラインというものもどうにも好きになれず、気分がのった時には軽快にチャットがはずむのだが、そうでないときには後先考えずに既・未読スルーをしてしまう。

その結果、SNSをコミュニケーションの中心と考える知り合いばかりの私は、スマートフォン利用者でりながら、いまだガラパゴス状態にあるのだろう。

 

SNSの普及は、このアン・ハッピーバースデー現象に拍車をかけている。

シェアが大好きないまどきの健全な大学生は、ケーキのプレート・おめでとうメッセージのスクリーンショット・数々のプレゼント(YSLの口紅とか)などの画像をインスタグラムにシェアする。

そして、サプライズであったこと・いつもお世話になっていること・これからもよろしくね・こんな私ですが仲良くしてねなどのエモーショナルな短文をツイッターに投稿する。

 

それを見た私は、自身の祝われなさが際立たされたような気分になって、

自己嫌悪&自己嫌悪&自己嫌悪×20000

といった具合に方程式が完成される。

 

祝う風潮がもしなければ、ただの一日として静かに過ごすだろう。

しかし、人であれば「友人・恋人・仲間」に祝われるのがふつうのこと

という概念が当たり前のようにそこに存在するから、

「誕生日」という一日、無駄に自尊心をズタボロにしながら過ごすことになる。

 

悲しくなってきたわ。

 

 

私、(精神的に)生まれ変わろうと思う。

 

 

私の心の中にずっとあるもの、

現れてから、今でもずっと追い求めているもの、

それが、高校時代の自分と、その毎日

間違いなく自分史上最高だった。

なにがかと言うのは難しい。全部だから。

性格も、環境も、生き方も、友達も、先輩も、学校も、すべて最も良かった。

さらにいいのは、当時の自分がその楽しさと幸せを実感していたこと。

 

だから、それからずっと、高校時代のような自分と生活を追い求め続けて、

あるいは、執着、固執して、今のおかしな自分がいる。

これは言い訳と見えるかもしれないけれど、自分の中では筋の通ったストーリー。

 

そして、カリカリした最悪な自分が出来上がった。

ある時ふと、変わるきっかけが見えた感じがした。

それを今、実践している最中。

上手くいくかは分からないけど、気持ちが軽くなった。

 

でも、言葉にして整理しないとモヤモヤしたままな(些細な)ことがいくつかあるから、それを書こうと思う。

 

まず、私は寒さに弱い。暑いとき、じっとしていると余計に暑さを感じるような気がする。だから、活動的になれる。

でも、寒いと予定がない限り動けなくなる。

教習所に行って学科試験を受けなければいけないのに、どうにも動く気が起きない。

 

次に、これまで、インターネットを使用した情報収集には慣れていたと思っていた。

バンドの最新情報やチケット発売に関する情報を漏らすことは(ほぼ)なかったし、アイドルのテレビ出演情報だって同じだ。

でも、映画の舞台挨拶というものはある種未知の領域だった。

公式アカウントが発する正直どうでもいいような(衣裳展や細かいインタビューや特集記事のこと)情報までしっかりと目を通し、舞台挨拶の情報が更新されるのを今か今かと待っていた。

あまりにも発表がないから、ツイッターで検索してみたりもした。(発表まだかなーという趣旨のつぶやきを多数発見)

それでも一向に発表されないから、もしかして舞台挨拶のないこともあるのかも…?と自分を納得させていた。いかんせん、舞台挨拶初心者なもので。

ふと思い出した公開前日の今日、改めて検索してみると、真っ先に公式アカウントのつぶやきが出てきた。

一週間前に舞台挨拶決定という情報が解禁されていた模様。

フォローしているのに、どうでもいい数々の情報やリツイートにも目を通して来たのに、一番大事な大事な、舞台挨拶の情報だけを取りこぼしていたなんて

不覚にもほどがある。

無論、倍率は相当なものであるから、チェックしていたとしてもチケットを確保できていた可能性は極めて低い。

でも、それでも、それなりに動向を追い続けていたものに知らぬ間にフラれていた気分は最悪。

自分の詰めの甘さに嘆く一日となった。

 

文化の日は久しぶりに友人と朝から遊んで、それはそれは充実した一日を過ごすことができたというのに、今日・明日の引きこもり具合が洒落にならず、また自己嫌悪のループに陥りそうだが、(精神的に)生まれ変わるということを決定したから、なんとか耐えよう。

 

 

砂漠のような瞳と地獄のようなパートタイム

 

アルバイト先に目薬を忘れてきた。

私は視力だけはいいのだが、とにかくドライアイがひどい。

それは心の荒みに比例する。

と言うのも、日常が厳しく現実からドロップアウトしたくなったとき、

はまっている男性アイドルの動画を明け方まで見てしまうからだ。

こわい喪女だな~。

 

就職活動と就職のはざまに存在する、

天国のような、

待ち焦がれた、

夢にまで見た期間を過ごしているというにも関わらず、

私の心は晴れない。

 

好きな人のいない人生にもう幸せを感じられない。

22年間誰からも好かれたことのない悲しい人生。

おまけに、就職先は評判も少なく未知数。やりたいことというわけでもなく、

とりあえず生活していくために就職する。

世間の人は少なからず興味のあることを仕事にできているのだろうか?

私は大学に入ってから落ちぶれた。

人に対する不信感や劣等感が増え、自分のよさや自分らしさとして思っていたものを失くした。

昔は人と比べなくても自分は自分として考えられていた。

しかし、大学で4年間成長のないままただ年を重ね、

色々なタイムリミットを感じる中で、意味もなく時が過ぎていくことが突然恐ろしくなってきた。

 

 

そして私はアイドルという虚像に癒しを求めてスマートフォンにかじりつく(“夜光虫”と言いたくなる)

今こそこの砂漠のように枯れ果てた瞳に潤いの一滴を与えたい、与えたい、与えたい!!!!

この思いがピークに達した瞬間、アルバイト先にある段ボールとその上に自ら置いた目薬の映像がフラッシュバックする。

絶望、絶望、絶望。

目薬を無駄にしたのはここ最近だけでも2回目。

やるせなさでいっぱいになる。

 

まとめると、アルバイトがしんどい。