劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

29才女性 人生へのとめどなき、根拠なき不安を解放する日記

考えたら負け

たとえば、

毎回鍵の閉まったトイレにノックしてくる空気の読めない自己中心的で融通の利かない尊敬できない父親のこととか、
22才にもなって未だに姉とあり得ないほど狭い部屋で生きてて、その消灯が早すぎて見たいテレビも満足に見られないこととか、
毎日アルバイトと教習所の繰り返しで感情の発散がラジオかテレビか映画でしかできなくて心が枯れ果てていることとか、
いつまで経っても恋人がいないどころか恋愛の気配すらなくて映画のような平和な恋愛を渇望してることとか、
この4年間で徐々に心が本来の自分から離れていって、自分が一番なりたくない自分になってしまっていることとか、
そんな自分を変えたいのに4年という月日が長すぎていきなり変われないこととか、
それじゃあ徐々に変わっていこうと決意する度に些細なことに苛立って自分の愚かさにまた落胆することとか、
昔の自分と今の自分がおんなじ人間だとは到底思えないこととか、


全部、全部、考えたら負けだよね(笑)
思考停止こそが最大の自己肯定に繋がるという今の自分の虚しさ。
普通、人間は考えることで変わっていくのに、
今思い浮かぶことは考えれば考えるほどネガティブな発想に繋がっていくから、
もう考えないことを学習したいよ。

最近歩いててもイライラするし、
夜には泣く。
便利な言葉「メンヘラ」
自分の理解できない感情の波を簡単に「メンヘラ」と分類して片付ける人多いよね。

就活終了2か月後からの(不毛な)後悔

 

 

8月中旬、内定先の最終面接があった。

結果はすぐに来た。他に1つしか持ち駒がなかった私の気持ちは、もうほとんど就職活動の終了へと向かっていた。

その残りの1コマの最終面接が8月下旬にあった。

終盤の持ち駒の中では最も志望度が高く、日ごろから「大好きだ」と思えるものに関する職業だった。

しかしそれは、私に欠けている創造力や発信力を常に強く要する仕事であり、

その力があることを面接の場でプレゼンテーションすることはできなかった。

ずっともらえていなかった「内定」がもらえたという解放感も手伝い、

最後の面接は完全なる「記念受験」状態で挑んだ。

 

 

というのは、どこから見ても言い訳に過ぎない。

最後の面接まで気を緩めずに準備できなかったこと、

アピールできるほどの素質や能力を何も持ち合わせていなかったこと、

これらを含めての不採用だったはずだからだ。

 

 

しかし、現在のゼミも活動がなく、授業もなく、(友達も彼氏もいない)宙ぶらりんな状態で様々な映画やドラマを見ると、

言いようのない後悔が押し寄せてくるようになる。

 

 

大変でも、好きなことなら頑張れるのではないか

夢を持ち続けられるのではないか

 

思い出すのはやはり高校時代の自分で、

あの頃は、惹かれる部分があったからある部活に入り、

大変な毎日ではあったが、あこがれる先輩もいたから頑張れたし辛いと感じなかった。

忙しいけど、それを充実感と捉えられた。

 

 

落ちてしまった会社の方がそれに近い気持ちで働けるようなイメージができる。

内定先ではどうだろうか。

 

 

なにはともあれ、

もうやり直すとはできないし、仮にやり直したとしても何か変わるのかという疑問もある。

なにより、まだ働いてすらいない。

それならば、自分の行動への後悔はほどほどにして、ここからいかに自分を変えていくかを考える方が先決であろう。

 

 

長年喪女やっていると、自分だけの世界で生きることになるから、

妄想だけがどんどん幅を利かすようになり、現実的な問題から遠ざかっていく。

もし、恋人の一人でもいれば、ささやかな日常に対してのありがたみや幸せを、

今の何倍も感じることができるだろう。

 

 

「いいなあ 愛される人は いいなあ」

 

ここにきて某ドラマの35歳童貞のモノローグが心に刺さる。

喪女はどんなことに悩んでも、結局ここに行きつくからだ。

このセリフは、一見ありきたりな、言い古されたフレーズのように聞こえるかも知れないが、全国の喪女・童貞の心をうまく表していると感じる。

つまるところこれなのだ。望むのは派手な幸せではない、ただただシンプルに「愛されたい」(恋愛というよりは人間愛のようなもの)

 

 

 

しかし、ひらまさだって味方のような顔で近付いてきたが、

ちゃっかりかわいいかわいい彼女と、ほっこりあったかい日常を始めていやがるから油断ならねえ。

 

自尊感情の低い喪女だから、小賢しいみくりちゃんみたいな彼氏が欲しい。

 

誕生日なんて大嫌い

 

 

この世の中に、

私よりも祝われずに22歳を迎えた私立文系女子大生がいるだろうか、いや、いない。

私の人生の中でも、最も祝われなかった最悪な誕生日だ。

(ちなみに、その記録は毎年更新されている)

 

~以下懐古~

 

高校生の頃は、朝学校に行くと部活の友達やクラスの友達がおめでとうと言ってくれた。プレゼントをくれた人もいた。

 

~現実~

 

それがどうしたことだろうか、カウントダウンの瞬間も一人ぼっちでむかえ、

当日も一人で過ごす。こんなにも寂しい誕生日を過ごすなんて、私の人生設計には一切なかった。

もちろん、数少ないラインをくれた友達のメッセージには感謝しているけれど…。

誕生日の人がいるたびにおめでとうと言い合うライングループが2つほどあるのだが、

そこでも私だけが祝われなかった。笑えない。みじめ。

 

考察① 誕生日アピールをしなさすぎる

 

「アピールをして祝われなかったらもっと悲しい」という特有のネガティブシンキングが働いて、「アピールをしないから祝われない」という当然かつ最悪な結果を生み出しているのだろう。

 

考察② SNSから遠ざかりすぎている

 

ツイッターは一度アカウントを消してからは少人数の友人のみをフォローし合っている。ラインというものもどうにも好きになれず、気分がのった時には軽快にチャットがはずむのだが、そうでないときには後先考えずに既・未読スルーをしてしまう。

その結果、SNSをコミュニケーションの中心と考える知り合いばかりの私は、スマートフォン利用者でりながら、いまだガラパゴス状態にあるのだろう。

 

SNSの普及は、このアン・ハッピーバースデー現象に拍車をかけている。

シェアが大好きないまどきの健全な大学生は、ケーキのプレート・おめでとうメッセージのスクリーンショット・数々のプレゼント(YSLの口紅とか)などの画像をインスタグラムにシェアする。

そして、サプライズであったこと・いつもお世話になっていること・これからもよろしくね・こんな私ですが仲良くしてねなどのエモーショナルな短文をツイッターに投稿する。

 

それを見た私は、自身の祝われなさが際立たされたような気分になって、

自己嫌悪&自己嫌悪&自己嫌悪×20000

といった具合に方程式が完成される。

 

祝う風潮がもしなければ、ただの一日として静かに過ごすだろう。

しかし、人であれば「友人・恋人・仲間」に祝われるのがふつうのこと

という概念が当たり前のようにそこに存在するから、

「誕生日」という一日、無駄に自尊心をズタボロにしながら過ごすことになる。

 

悲しくなってきたわ。

 

 

私、(精神的に)生まれ変わろうと思う。

 

 

私の心の中にずっとあるもの、

現れてから、今でもずっと追い求めているもの、

それが、高校時代の自分と、その毎日

間違いなく自分史上最高だった。

なにがかと言うのは難しい。全部だから。

性格も、環境も、生き方も、友達も、先輩も、学校も、すべて最も良かった。

さらにいいのは、当時の自分がその楽しさと幸せを実感していたこと。

 

だから、それからずっと、高校時代のような自分と生活を追い求め続けて、

あるいは、執着、固執して、今のおかしな自分がいる。

これは言い訳と見えるかもしれないけれど、自分の中では筋の通ったストーリー。

 

そして、カリカリした最悪な自分が出来上がった。

ある時ふと、変わるきっかけが見えた感じがした。

それを今、実践している最中。

上手くいくかは分からないけど、気持ちが軽くなった。

 

でも、言葉にして整理しないとモヤモヤしたままな(些細な)ことがいくつかあるから、それを書こうと思う。

 

まず、私は寒さに弱い。暑いとき、じっとしていると余計に暑さを感じるような気がする。だから、活動的になれる。

でも、寒いと予定がない限り動けなくなる。

教習所に行って学科試験を受けなければいけないのに、どうにも動く気が起きない。

 

次に、これまで、インターネットを使用した情報収集には慣れていたと思っていた。

バンドの最新情報やチケット発売に関する情報を漏らすことは(ほぼ)なかったし、アイドルのテレビ出演情報だって同じだ。

でも、映画の舞台挨拶というものはある種未知の領域だった。

公式アカウントが発する正直どうでもいいような(衣裳展や細かいインタビューや特集記事のこと)情報までしっかりと目を通し、舞台挨拶の情報が更新されるのを今か今かと待っていた。

あまりにも発表がないから、ツイッターで検索してみたりもした。(発表まだかなーという趣旨のつぶやきを多数発見)

それでも一向に発表されないから、もしかして舞台挨拶のないこともあるのかも…?と自分を納得させていた。いかんせん、舞台挨拶初心者なもので。

ふと思い出した公開前日の今日、改めて検索してみると、真っ先に公式アカウントのつぶやきが出てきた。

一週間前に舞台挨拶決定という情報が解禁されていた模様。

フォローしているのに、どうでもいい数々の情報やリツイートにも目を通して来たのに、一番大事な大事な、舞台挨拶の情報だけを取りこぼしていたなんて

不覚にもほどがある。

無論、倍率は相当なものであるから、チェックしていたとしてもチケットを確保できていた可能性は極めて低い。

でも、それでも、それなりに動向を追い続けていたものに知らぬ間にフラれていた気分は最悪。

自分の詰めの甘さに嘆く一日となった。

 

文化の日は久しぶりに友人と朝から遊んで、それはそれは充実した一日を過ごすことができたというのに、今日・明日の引きこもり具合が洒落にならず、また自己嫌悪のループに陥りそうだが、(精神的に)生まれ変わるということを決定したから、なんとか耐えよう。

 

 

砂漠のような瞳と地獄のようなパートタイム

 

アルバイト先に目薬を忘れてきた。

私は視力だけはいいのだが、とにかくドライアイがひどい。

それは心の荒みに比例する。

と言うのも、日常が厳しく現実からドロップアウトしたくなったとき、

はまっている男性アイドルの動画を明け方まで見てしまうからだ。

こわい喪女だな~。

 

就職活動と就職のはざまに存在する、

天国のような、

待ち焦がれた、

夢にまで見た期間を過ごしているというにも関わらず、

私の心は晴れない。

 

好きな人のいない人生にもう幸せを感じられない。

22年間誰からも好かれたことのない悲しい人生。

おまけに、就職先は評判も少なく未知数。やりたいことというわけでもなく、

とりあえず生活していくために就職する。

世間の人は少なからず興味のあることを仕事にできているのだろうか?

私は大学に入ってから落ちぶれた。

人に対する不信感や劣等感が増え、自分のよさや自分らしさとして思っていたものを失くした。

昔は人と比べなくても自分は自分として考えられていた。

しかし、大学で4年間成長のないままただ年を重ね、

色々なタイムリミットを感じる中で、意味もなく時が過ぎていくことが突然恐ろしくなってきた。

 

 

そして私はアイドルという虚像に癒しを求めてスマートフォンにかじりつく(“夜光虫”と言いたくなる)

今こそこの砂漠のように枯れ果てた瞳に潤いの一滴を与えたい、与えたい、与えたい!!!!

この思いがピークに達した瞬間、アルバイト先にある段ボールとその上に自ら置いた目薬の映像がフラッシュバックする。

絶望、絶望、絶望。

目薬を無駄にしたのはここ最近だけでも2回目。

やるせなさでいっぱいになる。

 

まとめると、アルバイトがしんどい。

 

 

喜びは半分に、切なさは2,3倍にして受け止めるタイプの厄介な喪女(ギリギリ21歳・女性)

 

今日のテンションの下がり具合がハンパではない。

 

~その1~

昨日のアルバイトでは舐められた後輩に三度の遅刻をかまされ、

さすがに耐えかねた地味で友達の少ない喪女がラインで忠告文を送るも、

全く反省していない様子で、お得意の演技がかった言い訳をかまされた。

これは当該後輩のみならず、毎回5~10分程度の地味な遅刻を繰り返すその他の後輩へ向けた忠告でもあった訳なのだが。

2時間の延長で買い物の予定は流れ、嫌われ役を買って出てまで注意し関わらず、やはり舐められた喪女は大したリアクションももらえず。

 

~その2~

今日は某夢の国に遊びに行くことをひと月以上前から計画し、予定を開けていた。

そんな日に限ってこの雨。喧嘩を売られているとしか思えない。天気が私に合わせろや。そんなこんなでこの予定も延期され、友達もやけに冷たく、ガラスのハートを持つ喪女はまたひとつ傷ついたのであった。

 

~その3~

夢の国が流れてしまったのは仕方がない。なら昨日行こうと思っていた買い物に行こう。近頃は定期で行ける範囲でウィンドウショッピングをしても、一向に購入が決意できずにいた。そこで、自転車で行ける場所にしよう。そう思って昨日は眠りについた。そして今朝、雨音で目が覚めて思い出した。「いや、今日雨じゃん。」

 

~その4~

ならば教習所に行くしかないのか・・・。そう思い時間を確認してみる。意外と早い。それまで買い物に行けるのかも微妙。おまけにいつもは自転車で行っているが、今日はそれもできない。

 

 

もともとは夢の国にいるはずだった休日。あの陰険な雰囲気が溢れ出て止まらない、社会の闇の権化のような教習所で過ごさなければならないのか。

一週間前の今頃はキラキラまぶしいコンサート会場にいたのに、という事実がこの憂鬱な気持ちに拍車をかける。

 

さらに明日の午前中にも教習所の技能予約を入れてしまっている。夕方からはあのトラウマのアルバイトがある。ついでに言うとその次の日も11時間労働ときたもんだから、ドロップアウトしたくなる。

 

 

こんな繊細なハートを持つ喪女の心を曇らせたのは今日のこの雨だ。

いつも農作物を育ててくれてありがとう。排泄物を流してくれてありがとう。

だけど、ちょっとは空気読んで降ろうか。

私があらかじめ予定を入れている日くらいは大人しく止もうか。

 

就活を(半ば無理やり)終わらせてから3回行った旅行は全て1日ずつ土砂降りの日があり、それ以外にも数少ない遊びの予定が入っている日に限って親の仇かという程の雨が降りやがる。

かと思えば朝から11時間労働で薄暗いアルバイト先に一日中いるという日に限って爽やかに快晴しやがる。

 

 

しかも!!!!このブログ重すぎる!!!!

全ての操作への反応が死ぬほど遅くて下記づらいったらありゃしない。

もうこれ以上イライラしたくないからやめよ。

 

 

 

心がどっかに行ってしまった。(21歳・女性)

 

ここ1年くらい自分を殺して生活してきたけど、

この地味でつまらない生活はいったい何のためのものだったのだろうか。

7月ももうすぐ終わるというのに未だ内定ゼロなのはさすがに笑えないし泣けもしない。

 

残飯もとい丸亀製麺のご自由にお取りくださいの天かす

いや、ご自由にでも取ってもらえないのだからもはやコンビニの廃棄弁当のようだ。

 

最近よく思う。

いっそのこと社会不適合者ならよかったのに、と。

でも、幸か不幸か、私はもう約22年間社会に普通に適合して生きてこられたものだから、なんとか就職するしか選択肢は、ない。

 

しかし、面接対策が本当の本当にキレそうなくらい嫌いで、

これが私の内定ゼロの決定的原因だとも自覚している。

 

時刻深夜3時にして、明日の面接の志望動機が未だに固まっていない。

だいたいこの調子で面接を受けてしまうからこうなってしまったんだ。

はたして私は、本当に明日2社の面接を受けるのだろうか。

笑えないほど持ち駒がないのだが。

 

私は1年前、まさか内定がこんなに取れないものだなんて1ミクロンも予想していなかった。

 

毎日毎日1人で過ごして、

何にも楽しいこともないし、

毎日嘘ばかり言ってもなにも結果は生まれないし、

かと言って自分の人生のお話だから、

逃げても誰も助けても慰めてもくれないだろうし、

自分に返ってくるだけだし。

 

来世があるのなら、気の強い、我が強い、生命力に満ち溢れた、自己主張の激しい、自己愛の強い、ナルシストに生まれてきたい。

 

それか、顔だけで一生稼げる超絶美人

 

 

3年前からやり直してえ。