劣等感と焦燥感と敗北感のミルフィーユ

23才彼氏なし営業職女性が、「会社に行きたくない」「過去に戻りたい」と言うことを大袈裟に回りくどく言い続けるだけのブログ

虚無の2年間


気が付けば、このブログを開設してから2年もの月日が経過してしまった。

恐ろしくて振り返りたくない。

地獄のような意識弱い系喪女就活生時代に、
脱喪女を掲げて意気揚々と始めたこのブログ。

クソみたいな自分と、姉に対する怒りにまみれたクソみたいな毎日だったなぁ。

それから無事に?就活は終わり安寧の時期が。
ところが、解放感を味わうことが出来たのも束の間、
やがて、言い表しきれない劣等感と焦燥感と敗北感が止めどなく溢れ出てきた。

それは、周りの人に対しても、昔の自分に対しても。

だけれども、意思の弱い、覇気のない、生命力のない私は、就活を再開するだとか、もう一年頑張ってみるなんてことはなく、ひたすら現実逃避をするかのように遊んで過ごしてしまった。

(楽しかったのは確かだが)

そして、あの地獄のような就活時代を簡単に凌駕してしまう、
更なる地獄のような社会人生活が幕を開けてしまった。

毎日、明日になるのが憂鬱で、朝起きてしまったらもう、何も考えないように支度をし、この世の終わりにでも向かうかのような気持ちで満員電車に乗り込む5日間。

今すぐにでも抜け出したくて、だったら転職でもすれば?という自分は確かにいる。

実際、何校かの公◯員よびこーに話を聞きに行ったりもした。

だけど結局、会社が始まってしまう時間までの間に、いかに現実逃避できるのかということに専念してしまう意思の弱い私が支配してしまう。

「意思が弱い」という言い訳を振りかざし、何もかもから逃げて、結局なんにもできない自分しか残らない。


何も出来ることがない。



今朝、大学の知り合いにSNSをフォローされた。

その子は、誰もが二度見してしまうほど顔が可愛く、性格も良い。

そして、SNSの投稿を覗けば、爽やかな恋人とのツーショットがびっしり並べられていた。

そこには、恋人や家族に対するあまりに真っ直ぐな思いも綴られており、それは何の胡散臭さも感じさせないものだった。

私が一人呆然と過ごした2年間で(ここでは敢えて2年間と言いたい)、あの子は周囲の人からどれだけの愛を受け、どれだけの素晴らしい景色を見てきたのだろう。

そんなことを考えてしまい、仕事初めの朝に、死ぬほど憂鬱な気持ちになってしまった。

同じような表情で、会社に行きたくないと話していたあの子の裏側には、こんなに愛される日常があり、それがどれほど糧になっているのかなんて、私には想像することすらできない。

それは私の知らない生き方だから。

共感し合っていた訳ではないのか。

素直で可愛いあの子やその子が、たくさんの愛を受け、人間としてさらに成長するほど、
私はどんどん卑屈になり、そうなるといよいよ、私が生きている意味もないように思えてくる。(≠消えたい)

どれだけの言葉と時間を費やして、心の歪みの原因を解明しようとも何の解決にもならない。
それどころか、更に暗い気持ちで夜を明かすことになることに、私はとっくに気付いている。

それでも、支え合える恋人のいない私は、
このブログに劣等感と焦燥感と敗北感を積み上げ続けるしかないみたいね。

今年の総括

やたらと年末感を出す紅白に、
何とも言えない焦りと苛立ちを感じていた2016年の大晦日、まるで昨日のことのように思い出されます。


そのような気持ちは大分薄まりました。
しかし、NHKとは罪なもので、「ひよっこ」なる朝ドラも私にとっては眩しすぎて、何とも言えない気持ちになるのです。
若者が頑張っている物語に弱いため、
総集編の流れるリビングで出かける支度(髪型)をしながら、不覚にも右目の目頭から一筋の涙が流れてきたのです。
そんな気持ちとは裏腹に、
何も努力していない自分を思い出してしまい、自己嫌悪にもなるのです。


それでも、昨年よりはるかにましなのです。
振り返ってみると、今年は暗黒期でした。(平日)
毎日、毎日、毎日毎日毎日毎日…本当に毎日、
なんなら毎分のように、就職活動もとい大学生活への後悔と、これからの社会人生活への不安、合わない上司への不満にまみれていたからです。

しかし、どうでしょう。会社で過ごした時間を無視すれば、人生の中でもかなり楽しく充実して過ごせた方ではないでしょうか。

相も変わらず、恋愛はからっきし駄目で、長年喪女を拗らせております。
しかし、それ以外では、高校、大学の数少ない友達とたくさん遊び、たとえ親しい人が少なくても誘われた場には出来る限り参加し、その結果これまでより会う回数の増えた人もいるようないないような。

ライブやコンサートにも(あれほど僻みイジっていたフェスにも)結構行けたし、運動も始められたし、私にしては珍しく、結構満足しているのです。

だって、さっきざっと数えてみたら、
土日祝日お盆その他休暇合わせれば110日以上は会社がなくて、つまり1年の1/3近くは会社から逃れてだいたい楽しく過ごせていたと言うことだから。


今年の満足度で、来年が少し不安になります。
でも、来年こそは、転職に向けて考えていけるような意思の強さと熱い眼差しを身に付けて頑張りたいものです。

人生が長い。輝けるときはほとんどないのに。

高校や大学という、いわば恋愛するための期間とも言える7年間、
私は一体何をしていたのだろうか。

一方的に好きになることしかなく、思いを伝えたのはたった一回のみ。

あまりに枯渇した生活から逃避したく、高校時代に公開された恋愛漫画実写映画を見た。

あまりのピュアさと爽やかさに、こんな恋愛が出来ると信じて疑わなかった高校時代の自分を思い出した。

続けて同じ俳優が出演する恋愛ドラマも見た。
これが放送されたのは大学に入学した年。
つい昨日のことのようだが、もうすでに4年も前のこと。

たくさんの恋愛ドラマや映画が浪費されていく中で、
私だけなんの成長もなく、昔の自分の期待に一切応えることなく、何年も何年も同じようなやり場のない感情を繰り返し続けてる。

実体験がない分、作られたものに他人の恋愛を学んでいる節は否めない。
これが高校生や大学生を題材にしたものであれば、「好きです」という告白があるが、
それを過ぎれば、なし崩し的な交際や体の関係から始まる交際ばかりで、言葉で思いを伝えるシーンが描かれるものは圧倒的に少なくなる。

つまり、私は分かりやすく段取りを踏む恋愛を練習できる期間になにもせず、もう取り返しのつかない場所まできてしまったのだ。

なにも考えずに片想いだけで立派な恋愛となっていた頃に戻りたい。いや、戻れないが…

喪女、勝手に失恋す


今に始まったことではないけれど、恋愛のやり方が分かりません。



いつもいつも、
人を好きになっても素の自分を出すのがこわくて、
本来の自分とは違う自分を装って、
なんの進展もなく好きな人に恋人ができて無音で消える(笑)



ゆっくり話せる女性が羨ましい。

私はいつも自分の話なんか興味ないだろうなとか、
早く喋らないと流されるとか思うと、
素の自分を出すよりも無難な答えをコンパクトにまとめることに注力してしまう。


それでいつも「○○は適当だからな」とか「○○はクールだから」と言われて、人の関心を惹かずに消えるモブキャラと化す…



自分に市場価値がない。自己嫌悪に陥る。手遅れ。でも今頑張らなければ更に手遅れになる。




気になる人が出来たのに、あっさり恋人の存在を明かされ、しかもなんとなく相手の見当がついてしまって、

こうしてまた、私がまともな人間になる道がひとつ閉ざされたという訳だ。



まあ、気になっている段階なだけ良かったと思おう。

(そう思うよりほかない)


淡い恋心は早く、早く忘れよう。


淡い恋心なんて今時小学生でもないよな…

情けない話


12年前に放送されたときから私は、
1リットルの涙というドラマが大好きで、
台詞も暗唱できるくらい、何度も何度も見返している。


大人になるにつれ、頻度は減ったものの、
今でも一年に1、2回は見たくなるときがきて、
原作の本と合わせて見返している。


このドラマを見るたび、
本を読むたび、
惰性で生きている自分が情けなくなる。


やりたいこともない、夢中になれることもない、
人に張り合えることや誇れることもない


どう生きていくのが正しいのか分からなくなる。
私だって明日元気に過ごせる保証はないはずなのに、
ただ生きてるだけじゃだめなの?なんて情けないことを考えている。


やりたいことがたくさんあっても出来ない人がいるのに、
努力を嫌い、目標も夢もなくなめたことばかりいつも言っている。


気付いたときが吉日なんて言うのかも知れないけれど、
私はこうして毎回、1リットルの涙を見るたびに気付かされるのに、心情は年々悪化している。


今できることを一生懸命やるのが人間としてあるべき姿なのに、
どうしていつも言い訳ばかりしてしまうのだろう。

焦燥感のショートケーキ


この焦燥感は働いたら少しはマシになると思っていた。


と言うか、本来はマシになるくらいには「成長」していなければいけないものだろう。


ところが、慣れない会社員生活に必死になり、土日は思い切り遊ぶ、と言った流れが出来ていたのも少し前までで、


今ではまた、何もない休日に思い悩み、
結局のところ、生命力のない自分が自分の人生を行き詰まらせていると言う結論に至り、

なとなくメッセージ性の強そうな邦画を見ては、
よく分からなかったなあ、と思いながらスマートフォンを開く生活が戻ってきてしまったのであった。


以前から言っているが、
私は頑張れないし、急ぐことも嫌いだし、
張り合ったり揉めたりするのも面倒臭い。

こうして人生に対して逃げの姿勢をとり続けながらも、
あの人やこの人を思い浮かべては、
「どうしてブスでも彼氏できる人もいるのに、私には出来ないのだろう」
と、一人呟き、

生命力の低さに起因するものだと結論付け、

改善のための努力を放棄したまま、

明日からも惰性で生きていくのだろうか。


人生も仕事も暇潰し

この言葉の効力も薄れてきてしまいました。

こんな大人になるつもりは、毛頭なかった。

 

まったく、私はもう「人生世知辛すぎワロタwwww」

とでも言いたい気分です。

 

人生を楽しむ努力もせずに、楽しくないと嘆く者は愚か

努力しない者は愚か

仕事を頑張らない者はクズ

 

生まれた瞬間から人間は努力しないとお金も手に入れられないし、

つまりは生きていけないようです。

 

特別に恵まれた容姿でもあれば別でしょうが、

日本には1億人以上人間がいると言うことで、

たとえどの世界で生きていくにしても、努力をしなければ埋もれ、

そのランクに見合った報酬しか手に入らないシステムになっているようです。

 

それは、勝ち組と言われる仕事に就いている人も、

DQNでも、ギャルでも、風俗産業に従事する人も同じようです。

 

私は、なるべく楽して生きていたいし、急ぐことも嫌いです。

でも、このままだと私は無能な人間のまま、特に楽しいと思うこともなく、

人生を終えてしまう予感すらするのです。

 

それでは困る、と、頭の中には、キラキラした優しい、仕事も遊びも全力で頑張る私がいるのです。

しかし、それはあくまで理想であり、単なる妄想に過ぎないのです。

現実の私は変わりなく、真顔で、時に他人から「気が強そう」や「恐い」などと言われ、傷つきながらも平常心であるかのように振る舞っているのです。

 

何もできない私は、今就いた仕事を極めるしかないようです。

 

こんな、世の中に当たり前のように存在する常識に、

23歳になる年になって気付いてしまったのがこの私です。

 

今突然人生が終わってしまっても、消化不良・不完全燃焼でしかないのです。